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震災から3年のこと3

3/11日から2日が過ぎた頃から 近所の橘高校に浪江町の方々が避難されてきた。
その方々が食事にこられて「暖かい食事は何日ぶりだろう?」と
涙されていた事がとても心にしみた。

19b71588.jpgオヤジは俄然燃えてしまった!のだ・・これが後で理不尽な事の始まりでもあった。

依然として水の供給は続いていました。
感謝されて居られる方々が沢山いらっしゃいましたが
何を隠そう 我々こそが水をもらって頂いたお陰で商売を続ける事が出来たのでしょう。
そうでなければ恥ずかしくて商売は出来ませんでした。
自分たちだけが水を使っている等と思いたくなかったのは事実です。
だから皆さんに我々こそが感謝していました。

後日談になりますが水を貰って頂いていた方々がお礼にお菓子などをお持ちになって上記のわけで最初はお断りしていましたが
気持ちよく水を持って行って頂ける様に頂く事にしました。
中には口の開いたポテトチップスなどを持ってきていただいたのですが
それは何を意味するか福島の方だったら分かると思いますが
お礼に口の開いたポテトチップスを持って行かなければならないほど
物がなかったのです。頭が下がりました。

橘高校にボランティアとして来ていた方に伺いましたが
半数の方は地元の方で しかも大勢の若いご夫婦が避難して来ていたそうです。
理由、「水が無いから、食べ物が無いからここに来れば食べ物はあるから。」だそうです。
そして夜になると家に帰って寝てくるそうです。
お陰で浪江の方々は避難所のたらい回しにあってしまいました。

皆、条件は同じだったのではないでしょうか?
少し同じ福島市民として恥ずかしかったです。

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